即興ゴルコンダ(仮) 620064

【ルール】 1 出題されてから24時間以内に詩を投稿。 2 投稿締切から24時間以内に一人一票投票(投稿者以外も投稿可)。 3 最多得票者が一週間以内に次のお題を出題。   ※得票数が同じ場合は、もらったコメント数の多い人、それも同じ場合は投稿時間の早い人が優勝。 4 はじめにもどる。


海が焼ける

1:s. :

2017/01/08 (Sun) 07:30:16

どなたの投稿もお持ちしています。
2:ケイ :

2017/01/08 (Sun) 17:11:22

目をつむる、と
初めての気持ちで歩いた野の
鮮やかなペールグリーンと
それをつぶしてできる足裏の形が
自分を、
生まれたばかりのホモサピエンス
と思わせる

爪がのびその上にまた爪が生え、
部屋に飾ったポスターの輪郭を
コリコリとなぞる
焼きすぎて焦げたにおいの
自分の皮膚が好きです
指先で触れられるものだけが
やわらかく溶けて
海になってゆく

涙や正しさだけが
美しい世界なら
嘘をついたわたしたちは
やがて淘汰されてしまう
鼻の下の汗をぬぐう
泥だらけの手の平
短くなった煙草が
あなたの指を燃やすのを
今か今かと
食い入る よう に
見るのが使命

雲から雨が降ってまたいつか
雨が雲になる日には
きっと背中の膿も
正しくなくなってる
あなたの指が焼ける前に
わたしの胸のほくろへ
じう、と押し当ててくれたから
それがそのまま心臓になって
息をしながら燃やしている
初めてのホ・モ・サピエンス
焦げた肌のにおいが好きで
ゆっくり溶ける夢をみている

3: :

2017/01/08 (Sun) 21:15:49

太陽と海は、全てを受け止めてくれる。
そう思わせるような海の色を、私は今でも覚えてる。
隣に立って眺めていた、あの人の顔はうまく思い出せないっていうのにね。

でも、あの人も色を覚えてくれてるって信じるぐらいは、してもいいかな。
私たちは、同じ海を持っているんだって。
4:竹森 :

2017/01/09 (Mon) 01:15:13

ウサギが大人になって
ウサ耳美少女になったとして
そのソープランドの名前は
"生足ホイホイ”
俺は己の罪を赦すために
更に大きな罪を犯すだろう
要するに
俺は地図にその楽園を
"コンビニエンスストア”とだけ書き残した

木の枝に引っ掛けたキーホルダーの
キャラクターだけを抜くのでリングとネジの
無数に垂れ下った老木を前にして
祈る痩せた子供たちも居なくなり
それから先は数えていない
大地の一面は永い間
ひび割れた褐色の肌に覆われたが
建物も生命の影も何も無くなったその場所に
白い浴槽だけが、残っていた

太陽が大地の目前に迫った時
とても大きな地震が起こり
錆びた排水口からゴポゴポと熱湯が溢れ出し
いずれ浴槽を溢れ
大地を覆い尽くした

太陽に向けて沸き立つ海の底
浴槽の壁にこびりついていた
彼女の長い髪が
彼の縮れた毛が
浮かび上がり
細かい気泡を出しながら溶け
そこから
生命が溢れ出した
5:s. :

2017/01/09 (Mon) 08:24:17

ケイさんへ

含んでいるイメージが強烈で簡単にはコメントをつけられないのですが、少しだけ。指で触れられないものは得てして形がありませんが、そうですよね、海になるのは触れられるものばかりです。けれどこの詩のなかでは肉体はばかみたいに正直でありながらまた同時にたくさんの嘘をはらんでいるようにも聞こえた。体を焼くという作業は、触れられるものを触れられなくする儀式のようでもあり、触れられるものを触れられなくする儀式のようでもあって。わたしがいいなと思ったのは背中が膿んでいるというところで、それは自分では届かない場所に、だれかが(その背中に手をまわす燃える指や火が)作り出したケロイドなのかもしれないと。胸に押し付ける、じう、という音もいいです。雨という語が既出なので「慈雨」のことを想起してしまって、まあそれはわたしのこじつけなのですが、燃える心臓は、そのような慈しみの証のことでもあるのだろうと、そういうふうに感じます。細かいことを言えば「爪がのびその上にまた爪が生え、」というリズムが素晴らしかったです。全体的に妄想に満ちた感想ですみません。

博喜さんへ

ゴジラの映画はどれも見ていないので適切な感想ではないかもしれませんが、美しいものを見たときにその裏にある恐ろしいものもまた見るということはとても大事なのだといつも思います。地球の反対では朝焼けは夕焼けになるのだろうし、その赤い色はいろいろな示唆を帯びるのだろうとも。焼けるとか燃えるとかいうのは本当はとても怖いイメージですね。ましてや本来焼けないものが焼けているというのは。

白さんへ

見つめ合うということは親密さのあらわれですが、同じものを見るというのもまた違った種類の親密さのあらわれなのでしょうね。個人的には、相手に直接話しかけて質問攻めにするよりも、同じ風景を見て思い出を共有するほうがなんとなく相手の価値観に近づけたような気がします。海が焼けるというタイトルからは直接的には夕焼けや朝焼けが連想されるのかもしれませんが、白さんの詩を読んで、それに加えて「写真を焼く(現像する)」または「写真が(日に)焼けて褪せていく」(というわたしの勝手な)イメージが浮かびました。あの人の心にもその海が焼き付いているといいですね。



いまからちょっと出かけますので、竹森さんについても帰ってきてからレスさせてください。
6:s. :

2017/01/10 (Tue) 06:32:13

「海が燃える」や「海を焼く」というタイトルで出題しようかなといろいろ迷ったんですが結局「海が焼ける」というお題にしたのは、こういう詩が呼べたらいいなと思っていたからというのもあります。海が燃えるとか海が焼けるというのは観測者としての「私」や行為者としての「私」が強く出るけれど、海が焼けるというと、もっと客観的な(あるいは冷静な目の)イメージが強くなるとわたしは個人的には感じます。ですから投稿作も出揃ったかなというところで竹森さんがまたみなさんとは違った風味の(主観性から生じるというよりは神話的・俯瞰的視点をそなえる)作品を書いてくれていたこともまた嬉しく思いました。冷静な目、と言いましたがそれは思念がないということを意味するものではありません。竹森さんの文章の多くはユーモアをはらんでいますが、それは身を切って血を流すようなユーモアみたいだとわたしはたまに感じます。いや、身を切って血を流すことでユーモアを引き起こしているのではなくて、ユーモアを使って身を切って血を流していると言ったほうがわたしの抱いている印象を述べるのには正確かもしれません。この神話も(この作品を神話とたとえるなら)おもしろいのだけれども果たして単純におもしろがっていていいのかちょっと不安になるような、そういう書き手の強い、なにか思念みたいなものが渦巻いている感覚を覚える。自我は出ていないのに筆圧が高いです。キーホルダーの情景とかもとてもおもしろいんですが、でもどこか怖さがあって、それはきっと木にぶら下がっていたキャラクターは「hanged man」にも「縊死」にも見えてしまうからかもしれないし(もちろんイメージの可能性のひとつとしてだけれど)、それが「老木」であるからだし「痩せた子供たち」であるからだし、「それから先は数えていない」の目的語が曖昧なまま終末の情景をおびき出すからだし、とにかく、言葉やイメージの単純なおもしろさと共に、石炭でがりがりと書き付けたようななにか(この書き手、きっと目つきが怖い……と思わせるようなかんじのなにか)が同時にある。そういうのがわたしとてもいいと思うんです。

なんだか目つきが悪そうとか言って失礼な感想になっていないでしょうか、すみません。あと「要するに」がめっちゃ好きです。要するにって普通そんな使い方しませんから笑

(8時ごろ少し書き直しました)
7:竹森 :

2017/01/29 (Sun) 01:06:19

遅くなりましたが、レスありがとうございました。
またどこかで交われる日を楽しみにしています。

  • 名前: E-mail(省略可):

Copyright © 1999- FC2, inc All Rights Reserved.