南の街ではもう悲しみを花火で打ち上げ始めているらしい
森進一「襟裳岬」より着想を得ています。

  • sample
  • 2017/03/25 (Sat) 22:00:51
南の街ではもう悲しみを花火で打ち上げ始めているらしい
 過子が日が沈むと言えば、そのとおりになるし、陽が昇ると言えばそのようになった。過子は未来なんてないし、こういうのは繰り返しだって、首に短冊をぶら下げながら色々な宇宙や、神秘について教えてくれた。縁側に座ってバターを溶かしていると冷えた鉄が急に千度になって打ち上げられる花火と焼夷弾が町を焼いていった。その様子を透明になったアイスを齧りながら眺めている過子の町も例外じゃなかった。過子の生まれた町はえらく貧乏で、道路にはコンドームに詰められたタバコが転がり、産婦人科にはホルマリンに付けられた水子が多く並んでいた。そういう街で何事もなかったように育ち家をでて、その街から遠く離れた土地で僕らは出会った。色々な花びらが道路を埋め尽くし、昼は夜になって満月な三日月で満ち溢れ商店街では野菜が投げ売りされて、さんまを咥える猫たちや、忙しそうにリヤカーを押して走る佐川急便のおじさん達や、手をつないで華やぐ街を歩くカップル達、道端で演奏するミュージシャン達のアンプが事故を起こしたりして、ちいさな笑いが空に打ち上がって冷えた鉄になる。熱い、熱い、冷えた花火が降り注ぎ、街を焼いていく。ここも例外じゃない比喩となって、あれらは皆刃物なんだよ。
 
 ぎゅっと手を握った
 はぐれてしまった時間を呼び出すように
 思考にエコーがかかった状態で
 過子の話を聞いた
 トンボが水面をはねていく
 それを魚が飛び出して食べる
 その魚を釣り上げて火に炙り
 食べ残した骨を砕いて砂浜に巻けば
 この海はきっとおおきな墓場になるのさ

 墓前でロケット花火を二人で飛ばした。こんな暗い話をする気はなかったのに、どうして僕らはこういう事しか手をつなぐことができないんだろうか。と言った所で過子は手を話して岬の先端に立ち、手すりに寄りかかる。本当に折れそうな寂れた鉄格子の向こう側。にてを伸ばすが届かないのか、最初から折れてしまうのはなんて、過子はよりかかり、まるで本当に落ちそうな素振りを見せながら「おちないよ」と言って笑った。
  • あまさら
  • 2017/03/25 (Sat) 23:33:21
Re: 南の街ではもう悲しみを花火で打ち上げ始めているらしい
 
 鉛筆の頭頂部分を嚙みながら、幼児がちいさな蟹へ小便をかけている浜辺をあとにして、いかにも70年代なカーに乗って、カーの後ろは開いていて大量の野菜が乗っけてある。ような、イメージというか妄想がふっと一瞬よぎったのだけど、一瞬、その語感のしろさに、鉛筆を噛みながら蟹へ小便をかけている幼児も、大量の野菜を積んだいかにも70年代なカーも、ぶわっとどこかへ逝って、妄想は早々しんでしまった。嗚呼、哀しい、と別段哀しくもないのに、僕の顔の瞳は垂れ下がっていて、笑っているのに泣いているように見えるとわかった今朝の春。ごめん、ちょっとよくわからないんだけど、そもそも鉛筆をガリガリ齧りながら蟹へ小便かけてる子供の描写と、この70年代のカー、ってなんやねん、町田康か、このくだりは本当に必要なのか?、と天から声が聞こえつつ、それは当然の理なのであった。なぜなら俺はキングモヤモヤCDをもう潰れるかも知れない地元スーパーマーケットで行われた京都の物産展で露店商から1200円キッカリの値段で買ったのだから。そして今まさに俺はそのキングモヤモヤCDをパソコンで再生、石油王並にモヤモヤしながら、このカダンツァのジャーン、と一番はりきってバンドが演奏を終えるところを、なぜかジャー、ブツ、っと音が切れる。なんで切れるか、な、物凄く思考がモヤモヤするCDを聞きながらこの文章を記述しているところであった。

 先生、このなんやねん、町田康か、と話しているのは誰ですか?
 いい質問だね、亘君、個性の時代だからね、自分で考えて

 と、キュインキュイン、快速銀河鉄道小学部に配属した私はこのテキストの主体のように何かモヤモヤしたりすることもなく、日々授業を行っている。亘君もこのすべてが理路整然とした世界に於いてパラフォームテキスト理解システムに問いかければ、来週のテストでは必ずや百点満点をとれる回答ができるだろう。何も問題はない。

 しかしモヤモヤではないが疑問がないわけではない。なぜ人類は宇宙へ進出してもこのテキストを、文学を捨てなかったのか。パラフォームテキスト理解システムによれば2017年には既に心理学の世界に於いてフロイトは忘れ去られた存在になっているのに。2015年には文系の進学率の減少傾向が話題に上りはじめている。
 そう疑問がよぎる度に私の腕時計が明滅し、ぴぴーっ、エラーを警告する。
 そして小さな電流を流すのだ。いちちっ。

 悲しみは
 感じるものですらなくなった
 この理路整然とした世界で
 我らが
 祖の星
 という地球の二ホンでは
 南の
 街では
 もう
 悲しみを
 花火で打ち上げ始めている
 らしい

 私は車窓から遠く銀河を眺める。私たちは手放さなかったのか。それとも
 何か忘れ物をしたまま走っているのだろうか。

 ぴぴーっ。
 いちちっ。
 
 
 
  • kyouhei tanaka
  • 2017/03/26 (Sun) 08:36:50
南の街ではもう悲しみを花火で打ち上げ始めているらしい
私の街の真ん中には、大きな川が流れている
ベランダから眺めていると
犬の散歩やジョギングや下校する中学生や自転車に乗った親子や
様々なものが様々な速度で河原の道を過ぎていく
川をゆく花びらや時にはボート部の練習も
桜が咲き始めて、花火大会はまだまだ先か
君のいる季節に追いつけない
悲しみはどこに流れて行ってしまったのか
それとも、今も流れているのか
上手く捕まえられない
君は全部海に撒いてくれと言ったけれど
君の知る海とはきっと違う
水は近くで見たら濁って、濁って、映る空だけ、燃えて
南の島にでも行ければいいんだろうか
突然の波のように訪れた悲しみは、溢れ出てしまって
まだ、まけない
いつになったら上手くなるのか
49日経っても駄目だったら、来年にでも
空に、盛大に音を立てて
綺麗な海のない街だけれど、
ここでも打ち上げられるようになるかな
  • 2017/03/26 (Sun) 18:09:31
南の街ではもう悲しみを花火で打ち上げ始めているらしい
みんないなくなった後に
野原に花火が上がる
ひゅうんと空にのぼり
ぱんとはじけて
夜をすこし照らす
それを見ているものは誰もいない
誰も誰もいないのだ
  • 紅茶くん
  • 2017/03/26 (Sun) 19:48:16
南の街ではもう悲しみを花火で打ち上げ始めているらしい
ヨード卵、て検索すると『光の歴史』、ってでてくるらしいんだけど、そんなことあるんだろうか。こがね色になるような配合をしらなかったから、砂糖と味の素を混ぜて、きつね色になるように、花火を二次創作した。僕たちはそうやって、まだわりと楽しんでいる。ここにはないものを探してたんだけど、南に行くとけっこう見つけられるらしい。ドラゴンフルーツ、ってあるじゃないですか。ほんとはピタヤっていうらしいんだけど、ドラゴンフルーツをみて、″ああ、ドラゴンフルーツだなあ"って思ったひとが、だれかにドラゴンフルーツを指さして、"なあ、なんかドラゴンフルーツって感じじゃね?″って言って、聞いた人は、″ああ、ドラゴンフルーツだなあ"って思って、ドラゴンフルーツはドラゴンフルーツになっていく。南のほうで、花火をみたことない人達が、ゴールデンドラゴンを打ち上げている。ゴールデンドラゴンは地面に衝突して、花火のようなしみをつくった。
  • さわ田マヨネ
  • 2017/03/26 (Sun) 21:32:26
南の街ではもう悲しみを花火で打ち上げ始めているらしい
もしもしの空が白かったら、もしの雲は青く、もじの花はいろんな色なのだと思う。

花火、悲しみをうちあげるって、失敗は許されないらしいよ。

散らしてしまえばいいよね汚れちまった悲しみとやらを中原昼夜とともに、


清らかを続けると朝はくる△に錯覚するというわけで、さざんかがちりはじめ気をつけながらきみに火をつける
なるほど
末永く
勝手に揃います
終わりかけ


問いかけしたまま
去ってしまった
を、たどる
旅するうさぎ
ONEぴーすピースヒースの咲く丘をふみしめてふみはずさず踏み込み踏み越える

はらぺこはらぺこり沸き立つ、








  • 阿ト理恵
  • 2017/03/26 (Sun) 21:42:06

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