汽笛編
こんばんは。

よろしくお願いいたします。

  • ひらめ
  • 2018/03/06 (Tue) 18:54:36
汽笛編
旅のお供にダンテとは
調子に乗りすぎておりました
不機嫌を決め込んだ私を
列車が仰々しく運び始めます

特に興味ない昔の詩を
わざと難しい訳で語るのは
上等な遊びなのでしょう
だから私は加ててもらえなかったのでしょう

ここでも仲間はずれでありました
傷心気取って列車に乗ったわけなのに
期待の中身はカラだったので
ふかふかのソファで私はひとり

居丈高に鳴る汽笛にびっくりして
いよいよ泣き出しそうにしていたら
車掌さんが私に話しかけたのです
今の合図は僕を呼んだのだよと

曰く、汽車は汽笛で音を編み
少ない言葉を語るらしいのです
やはり言葉はわかれば良いのです
分からなければ人の心を脅かすばかりなのです

斯くして私の期待は蒸気で満たされ
心は白く曇って有耶無耶になりました
  • 社町 迅
  • 2018/03/06 (Tue) 23:43:21
汽笛編
鉄砲をうちます
それは海のむこうへ向けて
銃弾はしずみます
そこには生活が溜まっています
たくさんのプラスチック
ウミガメがクラゲとまちがえて
ビニール袋をたべます
海の向こうから線路が引かれ
ここに目を向けることなく
反対側へのびていきます
レールのうえからドロップアウトした
浪人生がタバコを吸います
肺の中はまっくろで
排気ガスが空をおおいます
ピーッ、ピーッ、と
汽笛が、なきます
線路のうえを通過しているので
だれも気づきません
海の向こうから赤ん坊だった自分の
なき声がきこえます
録音した自分の声をきくのがイヤで
みんな声を無視しています
銃弾、発砲
バンッ
反対の海の向こう
船のうえで老人がなにか言っています
姥捨てでしょうか
爺捨てでしょうか
ここにいるだれもが
船上の自分を、幻視できません
ウサギがケタケタわらっています
蒲の穂が揺れています
ピーッ、ピーッ
線路のうえを走りつづけているのに
その周りをサメがかこいます
プラスチック
石油
沈む泥舟
さようならメーテル
海底にはたくさんのネジ
機械の体を得て
永遠の命が
潮風で錆びついていく/いきます/?
あるいは、
婆汁・爺汁でいっぱいの海、
せなかの爛れたタヌキが
お前のオールを持ってケタケタわらっています
海上は線路でおおわれ、
だれもその上をはしっているものに
気づきません
ピーッ、
と、ないているのに
自分の声を亡きものにし続けてきたので
波打ち際で体育座りをしています
隕石はおちてこないし
そのかわり鉄道も銀河までいきません
這いつくばっていた地べたが
そのまま大きな泥舟だったなんて!
そんなまさか、
お前のオールはだれが持ってる?
サメもウミガメも煮しまり
蒲の穂もすべて枯れ果てて
さようなら、
さようならってきこえます
きこえますか
この汽笛がどちらの
(どちらの?)
ピーッ、ピーッ、
(……ますか?)
あら、こんなところに
ウサギの片足が落ちています

  • 2018/03/07 (Wed) 07:04:36
汽笛編
新しいラクダが生まれ
悲しみが降り積もる
わたしは砂漠になりたかった
唇をぬらしてしまって
なにもかもとおいさばくへとばしていくぬらしていくびしょびしょになった砂漠の山は崩れてどこにもなくなってしまったから安心してほしい
安心してくれてもいいから、
誰もいない砂漠に凍った山々がせり上がってきて冷たい唇をむき出しにしてしまっても
ひょうひょうと、ふえをふこうよ
と、水底吹笛がなっている
地下の奥底にながれる川で
まるで何もかも最初からそうであったように乾いた唇はすぼめれば山になり口笛を吹き、
吹かれる事になれれば口笛は地下を揺らすあたたかな汽笛になる
湯けむりがあふれだし
擦り切れた土壌をより酸化させていく
雨も
なにもかも
凍った大地がとけはじめて
もういちど砂漠に戻ってしまうように
うたもまたなりおわる
  • あまさら
  • 2018/03/07 (Wed) 17:40:41
汽笛編(投票対象外)
日曜日、シュークリーム屋さんに同化を請われた
剣もない私はうやむやな返事をした

月曜日、 父はとなりのトトロを覗く
(そんなもの覗いてどうするの)

火曜日 オウバアキルの詩が読みたかった
風呂に居るとバイクが通過した
沖縄戦を気にして居る私

水曜日、実母は実姉を迎えに行く
もう2日間そうして居る
実姉は日曜日風邪にかかって熱を出して
月曜日会社を休んだ(火曜日にはもう会社へ)

明日は木曜日
2月27日の原点は私有地に入らない(風呂での叫び)
(羞恥心、うち来る シュークリーム)
(汽笛は霧笛、汽笛編は霧笛編)
  • ぎわら
  • 2018/03/07 (Wed) 20:26:42
感想1
ありがとうございました!(ウオー!!!)

自分にとってはなかなか無い機会なので、一つずつ感想を付けさせていただきます。感想力はへろいですが…。


>社町 迅さん
1連目。列車にダンテの詩集?を持ち込んで、開いてみたけれど、めちゃめちゃ不機嫌な人です。
2連目。訳者(あるいは本の刊行者、またはダンテという人名の威信)をdisります。"特に興味ない""上等な遊び"
でもそのdisりは"加えてもらえなかった"という寂しさを第一の理由にしています。
3連目。寂しさははっきりします。まず、この人が列車に乗っているのは、列車の外の世界からはじき出されているからだということが分かる。多分一時だけつまみ出されたわけじゃなく、恒常的な疎外感を感じている人だ。
つらくひどい外界で生きている中で、きっとみんなが手に取らないような本とか詩とかが、この人の味方になってくれたことがあるんだろうなと思います。
その、味方感を期待してこそ、車窓の景色や家族連れのおしゃべりなどを無視して、無視できる人間として、ぺらぺら「すごい詩人」のすごい詩を繰っているのに、つまらない!
逃走の盾みたいに「ダンテ」に期待して、そこからも疎外されてしまった、無駄感のある自分の行動が強調されていく。
だからやる気がなくなり、意識が本から遠のいて、フカフカの椅子の感触だけが残ります。無言。寂静。
4連目。強い汽笛が鳴って、「列車」にすら落ち着きを奪われるのかよ、と、この人をとりまく疎外者がまた追加されそうになるけど、車掌さんが変なことを言い出します。
5連目。汽笛は、語彙こそ少ないけれども、車掌さんと列車の間で、または車掌さんと駅員さんと列車の間で、またはもっと多くの人の間で、一種の言葉として機能している。
あと1分で発車するよ、とか、ちょっと停車時間伸ばすよ、とか、車内でテロ起こってるんですけど、とか、そういう、駅員同士の実用的な言葉なのかもしれないし、北の方って寒いからテンションあがるぜ!みたいな人格を持った列車の独白が実は行われていて、車掌さんはインスピレーションばりばりでそれを読んでいるのかもしれない。
どちらにせよそこには普通では聞き分けられない言葉が確かに運用されています。誰かと誰かの間で。
6連目。話者の孤独は、汽笛による車掌さんへの伝達を見たことによって、なぜだか埋まってしまいます。埋まりきらないとしても、取って代わられてしまいます。
なんでだろう?
なんででしょうね?
音とか光景は、時々精神にそっと嵌ります。この場合、車掌さんがこの人に話しかけて、これは伝達だよ、という秘密を手渡してくれた、というのも大きいのかもしれない。汽笛の意味を理解できなくても、そこに意味がある、ということを知りながら、ここから旅していける。という、流れのようなものに、この人はうまく乗れたのかもしれない。
憤りも悲しみも有耶無耶になっていきます。ダンテさん、読んだことないんですが、その本のなかで人目もわきまえず泣いたり自決したりしているのかも。でもこの人のなかでダンテさんはもう、単なる表紙です。認識の段々がそこにあるものとして落ち着いていく。

色々と共感できました。
書いていただき、ありがとうございました。
  • ひらめ
  • 2018/03/07 (Wed) 21:11:07
感想2
>こさん

「ここ」はどこなのだろう、ということを最初に考えました。
海の「むこう」から、海の「反対側」まで、線路が伸びています。
海の向こうには、しずんだ銃弾や、生活の漂着物(プラスチック、ビニール袋(を食べるウミガメ))、そして赤ん坊だった自分のなき声があります。

>海の向こうから赤ん坊だった自分の
>なき声がきこえます
>録音した自分の声をきくのがイヤで
>みんな声を無視しています
>銃弾、発砲
>バンッ
>反対の海の向こう
>船のうえで老人がなにか言っています
>姥捨てでしょうか
>爺捨てでしょうか
>ここにいるだれもが
>船上の自分を、幻視できません

赤ん坊だった自分のなき声のあと、銃が撃たれ、海の反対側に浮かぶのは、船、老人、死のイメージです。「船上の自分」。
暴力を含む民話の生き物。
向こう側と、その反対側、生老病死、東と西を結ぶ「線路」とは、雑多な海、どぶどぶの海を過ぎる魂たちの、生滅の道すじのことなのだろうと思います。

その軌跡から外れた、目を向けられない「ここ」、波打ち際で銃を構えている人がいます。
もしくは人たちがいます。

>自分の声を亡きものにし続けてきたので
>波打ち際で体育座りをしています
>隕石はおちてこないし
>そのかわり鉄道も銀河までいきません
>這いつくばっていた地べたが
>そのまま大きな泥舟だったなんて!

この銃を構えている人(?)。この、詩の話者の、視線の移動の仕方が独特だな、と思います。ある時は海のうえをきらめく線路をそのまま走っているように見えるし、あるときは海の中に沈んでいくように見える。海の向こうへ真っ直ぐ銃を撃ったかと思うと、向こうからその反対側へと、横へ横へ見渡していく。
赤ん坊の声は自分、そして船の上の老人もおそらく(思い描く対象としての)自分、のように見えるので、波打ち際で乾いた思いを抱えているこの人は、きっと死人ではなく生きている人間に近いんだろうな、と思うんです。
波打ち際というのが何なのか、よく分からないし、言葉がなかなか見つかりませんが、生老病死の海を見つめるための見晴らし台のようなものだ、と、個人的にふわっと仮定してみます。
ちょっと面白いなと思ったのが、

>みんな声を無視しています

>ここにいるだれもが

と、なんとなく、「ここ」である波打ち際にいるのが話者一人だけではないような気がする、「みんな」がところどころ示唆されるところです。
一人で「みんな」の世界に銃を向けているわけではないんですよね。顔が見えないけどどうも誰かがいる。「ここ」ですら物理的な意味では孤独ではないんだ、という認識のきびしさ、良さを感じました。

そして、汽笛です。

>ピーッ、ピーッ、と
>汽笛が、なきます
>線路のうえを通過しているので
>だれも気づきません

>海上は線路でおおわれ、
>だれもその上をはしっているものに
>気づきません
>ピーッ、
>と、ないているのに

>サメもウミガメも煮しまり
>蒲の穂もすべて枯れ果てて
>さようなら、
>さようならってきこえます
>きこえますか
>この汽笛がどちらの
>(どちらの?)
>ピーッ、ピーッ、
>(……ますか?)

よくこんなに正体不明の汽笛を!
ピーッ、ピーッ、
という音が、簡潔に強くて美しいです。
美しくてちぎれる感じに悲しいですね。こんなもの聞かない方が良かった…と、思わず後悔してしまいそうな危うさがあって、吐き出されたようなエネルギーがそこに凝縮されている。線路のうえから汽笛が起こっている、というのも良いです。それを聞くことができるのは線路から逸れた立場にいる者だけかもしれないのに。

締めは、なんだか、こさんらしさを感じる(と言える根拠はないですが)視点の折れ曲げ方だな、と思います。

面白かったです。

銀河鉄道999のネタがいっぱいあるのは分かったんですが、観たことがなくて全然言及できなかったです。すみません…。
色々誤読している(そして見逃している)と思いますが、勝手な感想でした。
書いていただき、ありがとうございました。
  • ひらめ
  • 2018/03/08 (Thu) 01:54:35
感想3
申し訳ないです、だいぶ遅くなってしまいました。
続きを書かせていただきます。

>あまさらさん

・ラクダのこぶ
・唇
・砂漠の山
が一つのイメージを繋いでいます。双丘。双房。二つの山があります。

>わたしは砂漠になりたかった

大きい唇も印象的だし、ラクダが話者なのかな?と、かなり悩みましたが、ここではラクダとは別の「わたし」がいる、という風に読んでいくことにしました。
上述の引用部分は、新しく生まれたラクダに生息地を差し出してあげたい、(あるいは自分を含め、)乾きに属するものを生かすことができるようなわたしでありたい、という「わたし」の望みが書かれている、と読みました。
でも、"なりたかった"、"なにもかもとおいさばく"とあるから、それは「そうはなれない」と分かってしまっている種類の望みです。

酷く勝手な読解になりかねないとは思うのですが、下記に解釈を付記して詩を再掲させていただきました。
「ラクダ」「唇」に【二つの山】、「砂漠」に【受け入れる場所】、という言葉を添えさせていただいております。

 記

 新しいラクダ【二つの山】が生まれ
 悲しみが降り積もる
 わたしは砂漠【受け入れる場所】になりたかった
 唇【二つの山】をぬらしてしまって
 なにもかもとおいさばくへとばしていくぬらしていくびしょびしょになった砂漠【受け入れる場所】の山は崩れてどこにもなくなってしまったから安心してほしい
 安心してくれてもいいから、
 誰もいない砂漠【受け入れる場所】に凍った山々がせり上がってきて冷たい唇【二つの山】をむき出しにしてしまっても
 ひょうひょうと、ふえをふこうよ
 と、水底吹笛がなっている
 地下の奥底にながれる川で
 まるで何もかも最初からそうであったように乾いた唇【二つの山】はすぼめれば山になり口笛を吹き、
 吹かれる事になれれば口笛は地下を揺らすあたたかな汽笛になる
 湯けむりがあふれだし
 擦り切れた土壌をより酸化させていく
 雨も
 なにもかも
 凍った大地がとけはじめて
 もういちど砂漠【受け入れる場所】に戻ってしまうように
 うたもまたなりおわる


誤読だらけに逸れて行ってしまうかもしれず、恐縮ですが、自分の読む取っ掛かりとして、付記したイメージを前提に話を進めていきたいと思います。

>唇をぬらしてしまって
>さばくへとばしていくぬらしていく
>びしょびしょになった砂漠の山は崩れてどこにもなくなってしまった

ラクダと唇、そして砂漠に連なった山が折り重なったイメージを結んでいく箇所です。
おそらく唇は「わたし」の唇です。わたしは砂漠になりたい、と望んでいるのに、生身としての唇が水分の隣にあるから、常に山を崩すもの、乾きを脅かすものとしてしか発話できません。

>安心してほしい
>安心してくれてもいいから、

わたしが発話することで、砂漠の【二つの山】は崩れてしまいます。わたしが発話することで、【二つの山】を【受け入れる場所】は、その大事な性質を損傷させられてしまう。
でも、それは他者にとって予期されていること、期待されていることなのかもしれない。話者の望みは深刻なものだけれど、その望みの宛先なんて最初から引っぺがされているのかもしれない。
そうだとしても、という、諦観ではないけれど、かなり痛みを伴ってしまった「望み」がわたしの中に存在しているように思えます。

>誰もいない砂漠に凍った山々がせり上がってきて冷たい唇をむき出しにしてしまっても

損傷を受けた砂漠は無人です。本来受け入れられるべきものはそこにいません。
山は濡れたまま夜を迎えたのか、凍っています。山の中に見出される、(山を濡らした本人としての)唇は、寒さで生気を失っています。

>ひょうひょうと、ふえをふこうよ
>と、水底吹笛がなっている

スイテイスイテキ、と読むのでしょうか。ミナソコスイテキ、でしょうか。異質な明るさがやって来ます。どこから?

>地下の奥底にながれる川で

地下とは何だろう。
砂漠はわたしにとって「なれなかった遠いもの」です。だとすれば地下は砂漠に接続するための回路、世界と同期して見る夢のようなものかもしれません。そこには忌避されるはずだった水が流れています。水を通して笛の音が聞こえます。

>乾いた唇はすぼめれば山になり口笛を吹き、

唇、ラクダのこぶ、砂漠の山、から笛の音が噴出します。

>吹かれる事になれれば口笛は地下を揺らすあたたかな汽笛になる

はじめはおずおずと音が出たのでしょうか。音色が定まってくると、唇、ラクダのこぶ、砂漠の山、から溢れてくる口笛は地下に逆出し、混じる熱風と水脈の蒸発によって、もくもくとした汽笛が生まれます。

>湯けむりがあふれだし
>擦り切れた土壌をより酸化させていく

地下に溜まった汽笛は再度砂漠へと押し流されます。水の損傷をすでに受けている砂漠に、蒸発した硫黄泉(?)の攻撃まで加わる。
被害は甚大だけれど、どんなに傷つけていても、そこは紛れもなく地下と砂漠の合流地点です。

>雨も
>なにもかも
>凍った大地がとけはじめて
>もういちど砂漠に戻ってしまうように
>うたもまたなりおわる

蒸気は温かい雨になって、山々の氷を溶かしてくれます。
わたしの唇の水によってできた損傷は、熱い砂地へと回復しはじめます。
砂漠は砂漠の固有律を取り戻し、地下の水は後退し、汽笛も、汽笛の前身の口笛も、みんな止んでしまいます。

>わたしは砂漠になりたかった

なることができない、という憧れが、やっと表に出てきたとき"うた"や"汽笛"になるのかもしれません。


読み応えのある詩でした。
まともに読めたかちょっと全然自信がありませんが…。
書いていただき、ありがとうございます。
  • ひらめ
  • 2018/03/10 (Sat) 00:06:44
感想4
めちゃくちゃ遅くなってしまいました…。すみません…。
感想書かせていただきます。最後です!

>ぎわらさん

初見から面白い、と思いました。それから何度読んでも面白かったです。
でも感想を書くにあたって、その面白さにどういう風に近づいていけば良いのか、割りと悩みました。(ました、というか、まだ悩んでいます)
定まらない時の王道として(?)分からない部分を取っ掛かりにして読んでみようかな、と思います。稚拙な読みになってしまいますが、おつきあいいただけたら幸いです。

日曜日(一昨々日)
月曜日(一昨日)
火曜日(昨日)
水曜日(今日)○
木曜日(明日)

日曜日から木曜日までの5日間が差し出されます。私に起きたこと、私の家族に起きたことなどが、淡々と(淡々と?)私によって語られていきます。
淡々と見えるのは、その筆致から感情や情緒に属するものが注意して取り分けられているからだと思います。
でもそこに書かれているものは、いわゆる叙事とは少し様子が違います。むしろ事象が揺らぐ場所を象った篆刻のような、不思議な穴が詩中に散在しています。


日曜日は、私の話です。

>日曜日、シュークリーム屋さんに同化を請われた
>剣もない私はうやむやな返事をした

シュークリーム屋さんに請われた同化ってなんのことでしょう。ちょっと笑って考えたくなるような言葉の転じ方で、あー面白いなあと思います。シュークリーム屋になってくれ、シュークリームそのものになってくれ、シュークリーム屋であるこの家に婿入りしてくれ、シュークリーム屋である私の思想信条の下に入ってくれ、シュークリーム屋である私と国籍/本籍地を同じにしてくれ?
どれなのか(どれでもないのか)分かりませんが、シュークリーム屋の「シュークリーム屋的なものと同一になってくれ」という要請を受けた次の行では、まず、私の「剣」の不所持が説明されます。
この「剣」は、べたべたした同属化に対抗してそれを裁くもの、と思ってもいいけど、たとえば、私がシュークリーム屋的なものに同化し終えてから、シュークリーム屋的なものとして責を負って戦っていくための「剣」のことを言っているのかもしれないな、とも思いました。
どちらにせよ、私はうまく戦う術を持たないから、うやむやにごまかします。

月曜日は、父の話です。

>月曜日、 父はとなりのトトロを覗く
>(そんなもの覗いてどうするの)

父の話です、と言ってしまったあとですが、全然父の話ではないんじゃないか?という気もします。月曜日、の起声から承転まで連なる一行、それを受けたつっこみの二行目まで、美しい面白さだな、と思います。なんて言ったらいいか分からないけれど、家庭の密室で年老いた父親に窃視され(きっとカーテン越しだ)、あげく息子の方にはかなり低く見られているトトロの、画面上の深い笑顔、とかを想像して、興奮してきます。生っぽい、湿っぽい秘密のような・・・。

火曜日は、もう一度私の話です。

>火曜日 オウバアキルの詩が読みたかった
>風呂に居るとバイクが通過した
>沖縄戦を気にして居る私

ちょっとそれっぽい言い方をしてしまうのですが、「オウバアキル」「バイク」「沖縄戦」は『外界』というか…私の頭に馴染んでくる世間や世界から取り上げた、色んな記号の一部なのかなと思います。
『外界』に対する内界は、まずは家庭であるけれど、この連ではそれがさらに狭くなり、私が裸になる風呂が私の居城となっています。

そして水曜日は、母と姉の話です。

>水曜日、実母は実姉を迎えに行く
>もう2日間そうして居る
>実姉は日曜日風邪にかかって熱を出して
>月曜日会社を休んだ(火曜日にはもう会社へ)

父はただの父なのに、母にも姉にも、特別必要ではないはずの「実」が冠されています。
父がどこか家庭の暗い迷路にさまよう人に見えたのに対して、「実母」も「実姉」もしっかりと地に足のついた描写がされています。
私は「実」とつけることで、現実世界に入り浸りの母娘をやっと腑に落ちて呼べるのかもしれないですね。実の母は実の姉を迎えに行く…。
私がシュークリーム屋さんに同化を請われていた月曜日に、実姉は発熱し会社を休み、父がとなりのトトロを覗いた火曜日に、実姉はもう会社へ行っている。
「実」「実」とつけて、縮尺の違う物がむりやり家庭の中に収まっています。
成り立たない会話も、「実子」「実親」「実姉弟」「実夫婦」というくびきによって、なんらかの着地を見せてくれます。

最後に木曜日。更にまた、私のことです。

>明日は木曜日
>2月27日の原点は私有地に入らない(風呂での叫び)
>(羞恥心、うち来る シュークリーム)
>(汽笛は霧笛、汽笛編は霧笛編)

「明日は」とあることで、いままで出てきた曜日の位置が定まります。この連の私がいるのはまだ水曜日、おそらく一日の終わり頃です。
水曜日にとっての昨日、火曜日と同じように、私は風呂の中にいます。
「2月27日の原点」
2月27日は火曜日ですが、あえて月日を示しているから、詩中の火曜日より一週前の火曜日のことだろうと思います。
カレンダー上に打たれた点が、3月をめくり、木曜日の8日まで伸びようとしています。その原点(ショックを伴う出来事なんだろうか)は内と外で往来を遮断されています。私は私有地の内、家庭内の更に内、風呂の中で激しく原点を思っています。(激しさは文体のうえであくまでも客観視されていますが)
原点の取り逃がしのあと、高ぶった感情に羞恥心が混ざりはじめます。剣をもたない私の、シュークリーム屋さんへのうやむやな返答が風呂場にもわもわと広がります。
蒸気に満ちた室に、汽笛が鳴り響きます。汽笛は霧笛、汽笛編は霧笛編。霧笛(汽笛)は水曜日の夜を越え、船舶と列車は家庭を連れて木曜日を迎えます。

家の中の私、外に向かう私、私の中の私がそれぞれの円を持ち、外周で触れ合っています。

なんだかとても勉強になる詩でした。
書いていただいて、ありがとうございます。

ちょっと遅すぎるまとめですが、汽笛編の回、とても楽しませていただきました!!どの作品にも、どこまでも読めるんだ、という発見があって、書きながら読んでいくのが嬉しかったです。
ありがとうございました!
  • ひらめ
  • 2018/03/14 (Wed) 07:20:53

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