ネンさんの優勝です。ありがとうございます。
次のお題をよろしくお願いいたします。
以下、コメントです。けっこう深読みしてしまいましたが……。
いぬには名前がない。鳴くこともない。なのに「ご主人ご主人」「お役にたちたいです」としっぽを振る。ご主人がいるのにもかかわらず名前がなかったり、(鳴く鳴かないはおいておくとしても)本来わかるはずのない「いぬ」の意思をはっきり決めつけて書いてあるところに、次のような疑問が自然と出てきました。この「いぬ」は比喩なのか?
結論は出せませんでした。「いぬ」は、比喩なのかもしれないし、そうじゃないのかもしれない。見上げる目が「ぬばたま」というところに視覚的な質感が湧き出て、実存感があるけれど、まだ存在しているとは言い切れないと思いました。比喩なのだとしたら、「人間が誰しも持っているはずの小さな良心」といったところでしょうか。ただそう考えると、第三連、第四連が唐突で、「いぬ」を中心とした物語じみているために繋がりが見いだしにくいです。
比喩でないとすれば、いぬに寿命が来てこの世を去ってしまったが確かにそばにいたのだ、という温かな悲しみの話に見えます。
比喩だとしても、意味は飛躍・混濁していますが解釈はできると思います。「無邪気に人の役に立ちたがり、死ぬときにも自分のことは省みない、いぬのような心」が、「ぬばたまの」と枕詞をつけてしまいそうなくらいに真っ黒な瞳で語り手を(他者に見出だすにせよ、自分の胸中から)見つめることがある、という感じでしょうか。
比喩だったとしたらこの詩作において「いぬが存在するかどうか」は問題にならないはずですが、最後の連の焦点「いぬがいた/その証はない」「だけれど/確かにそばにいた」という部分は、文字通りいぬの存在を問うものとも言い切れず、比喩であることを明示しているとも言えず、なんだか煙に巻かれてしまいました。
私個人としては、後者の解釈がしたいです。普段は隠されている人の愚直な心が「小さないぬ」の真っ黒な瞳にのせて語られるのは高度な擬人法だと思いました。そしてその「いぬ」が死んでしまうのは感傷的でもありますね。
- はさみ
- 2018/12/12 (Wed) 23:32:54