昔から博物館が嫌いだった、ね
いや、訪れれば吐き気がするほど嫌いというわけではなくて
美術館や水族館に比べれば嫌いというぐらいで
それでも
ああ、退屈だった、ね
父親は
とりあえず
国立科学博物館にぼくを連れて行った、けど
何が展示されていたのかは全く覚えていなくて
ああ、退屈だった、という
その想いだけがいまだに残っている
それでも
あのガラス板で遮られた
向こう側にある土器だか書簡だかは
だれかが
そう、だれかが
並べるに値するんだ、とかなんとか言って
選ばれたものであって
そこにものが並べられているというだけで
きっと価値があるんだなあ、とか
やっぱり
ああ、退屈だった、ね
(生き延びてしまった
というより
形を残してしまった
というその宿命は
使命になって
ああ
無くなったはずの
命が
使われて
見世物小屋じゃないんだぞ
でも
金払え
何百年
何千年
と
命?
はないよ
形だけが
更新され続ける今に
残されてしまった、んだ)
「10連休だけど、どこに行こうか」
「そうだね、どこに行っても混んでるからなあ」
「えー、どっか行きたいな」
「どこも混んでるってば」
「あ」
「あ」
「どうせ
「人がいないだろうから
「国立科学博物館へ
(わかってるよ「行こ(どうせ、退屈「うか(だ
(った(んだ
ぼく
という形が
白い壁面を汚す
そのたびに
(ああ、退屈だった)
が
国立科学博物館
に展示されている
- なかたつ
- 2019/05/09 (Thu) 20:04:31