一票です。
なかたつさんへ
上野公園のおそらく最初の記憶として、小さかった頃、何かの展覧会に母が行きたがって家族で上野公園へ行って母だけが美術館の長い行列に並んでいる光景があります。
父と弟と私はその行列からそれほどは遠くない場所で遊びながら待っていたのですが、子ども心にはその行列が異様に見えて、母を確かめに行こうとしたところ、親切なお姉さんに「迷子なの?」と案内所に連れていかれて、そうじゃない、父も母もそこにいるの、と伝えられなくて、結局迷子アナウンスをされてしまうという人生初の恥ずかしさと申し訳なさと、アナウンスを聞いた母が行列をあきらめて戻ってきてしまったことで母が楽しみにしてた美術鑑賞をも潰してしまったこと、今も残っています。
上野公園にはよく行ったけれど、国立科学博物館だけは行ったことも存在すら大人になってから気がついたくらいで、もしあの時、動物園までは離れ離れでも国立科学博物館くらいなら、あの鯨の下にいるよ、ぐらいでも、子どもの私は気を紛らわせて過ごせたのではないかなあと思ったりしながらなかたつさんの作品を読んで、
大人になってから行った国立科学博物館の(私が印象に残っていたのははく製たちで)「すごい」と「きゅっ」の繰り返し(はく製を見たときの怖い気持ちというかゾクっと背中の中心が押された「きゅっ」)も思い出しながら、なかたつさんの( )の中の言葉をあのはく製たちに言われた気持ちにもなりました。
今朝、父に、どうして国立科学博物館には連れて行ってくれなかったの?と聞いたところ
「骸骨ばかりでおもしろくない」
もしまた国立科学博物館に行ったときは、なかたつさんと父の「形」を探してみたい。
私の「きゅっ」もまだどこかに残っているかもしれません。
たるぱぱさんへ
タイトルとの位置関係?が今回の作品たちの中で、私はたぶん一番好きでした。
最初の一行が、もしかすると一番のテーマなのかもしれませんが、私としては書かれてしまうよりも読んで感じてみたかったなあ、とも思いました。
らどみさんへ
一連目、かっこいい!
アーチの場面を知らない自分が悲しいです。
こうだたけみさんへ
大切に思いながらも、最後の一行に、一票を入れてしまっていいのかずっと悩みました。
けれど、今朝、また読んでいて、違った風にも読めて
囚われの、は、「詩を、ことばを紡ぐことに」という気持ちになって心から一票です。
(そうじゃなくてもなのだと思うのですが、そうじゃない場合囚われてほしくない気持ちが勝ってしまって)
こうださんとまた言葉を交わせられることができてとても嬉しい!
感想と票をありがとうございます。
解説?言い訳?するとがっかりさせてしまうかもしれません。
タイトルを考えたとき、難しくて
ただ収監ということばを誰かや何かに向かって使うのが躊躇われたというか
結局「黄金収監」されているのは私(と申し訳ないかもだけれど現在と未来、詩を書かれたいと思っている方たちも「たち」に入ってくださるのであれば)でした。
ずっと問われてきてもう今更なと思うテーマなのかなとも思ったりもするのだけれど
悲しい時苦しい時、虐げられているとき、戦争や混乱の時ほど、詩の持つ引力は強く見えて
悪にもなったりもするし、救いになったりする。詩の力が弱くなるほど、人はしあわせなのかもしれない、と思ったりもする。でもやっぱりそうではなくて、という(今赤面中です。言い訳恥ずかしい)
歴史も文学も、先人方の存在があって今の私たちがいて
新しく言葉を紡ぐひとには、それは呪縛?にもなって
だけど、書かれてきたものを読むたびに、読めたことに感謝をしたり
黄金をどう捉えていいのかわからなかったけれど、豊か、という気持ちで捉えちゃいました。
最後の詩、は、こうださんが読んでくれたように希望だったらうれしいな
最初、詩の力を全部使い果たして世界がしあわせになって、のイメージだけだったのですが
書いていたら、詩人の性はそれだけじゃないでしょうみたいな気持ちと、戦争や災害がなくても苦しんでいるひとたちがいて、の気持ちで
こう書く私は、その詩人さんの最後の詩の端っこに生まれたかもしれないし、それを越えて「ひとびと」が未来に歌う歌はそういうものをまったく背負わないひとが書く詩なのかもしれなくて、の気持ちと
気持ちだけはこんな感じ(すみません。。。)
もう一度
ありがとう
ぎわらさんへ
こうだたけみさんの最後の一行と迷ったのは、ぎわらさんの作品でした。
すごくどきどきしました。
そして毎回のことでいつも自分を恥じるのですが
わからない
(すみません)
今回は、ザード、とシェヘラザード
もちろん物語のシェヘラザードは知っていて
ただ、その名前を使った別のシェヘラザードがあるのなら、と思って。
物語のシェヘラザードだとしたら
死刑制度を思った後にシェヘラザードを思い浮かべたぎわらさんに
…なんていう気持ちなのか、今書いていてわかりません。
ああ、という驚きとやさしさ?を
私が読んだカミュは、ママン、の方でした。
宝島はたぶん手にした本の挿絵か言葉が難しかったのか怖かったのかで未読
ロビンソン・クルーソーは大好きでした。
そして
複数形と双数形のこと
まず双数形
印欧語というか、最近外国の方と話す機会が英語圏ではない方が多くて
でもつたない私は日本語以外は英語でしか理解できなくて
英語を話さない方もいれば、英語を話すことに拒否感を覚える方もいて
そのことと
それからたくさんの言語について考えたいと思いました。
それから
複数形
今回私が参加してしまった作品は
たぶんほとんど複数形というか
大きく枠をくくってしまっていて
「詩」、「ひとびと」、「歌」「花]。さすがに「戦」という言葉は無意識にでも大きくくくることが躊躇われて使わなかったのかもですが
そのことをぎわらさんの作品から考えさせられました。
文学フリマでシリアの詩人さんの詩を読んで、の影響もあったので
大きくくくってしまうことで作品上でも誤解を生んでご迷惑をかけることがなければいいと思いました。
(と書いて、気持ちはそうでも作品はそこまで行けていない、の問題はありますね)
尊ぶ、とても素敵
ザード、わからなくて、坂井泉水さんのZARDを思い浮かべてしまって
私の作品で平和になったひとびとが歌っている歌がZARDの歌に聞こえてきました
ぎわらさん
聞くの恥ずかしいことかもしれないけれど
ザード、教えてください…
生卵喰鳥さん
タイトル、ありがとうございました。
皆様
参加させていただいたこと、感謝します。
ありがとうございました。
- will
- 2019/05/11 (Sat) 11:15:46