動かないうさぎを運んでいた。箱の中には確かに横たわっていることがわかる、少しだけ重みが揺れるから。もっと安らかに眠れるところへ行こうね。この車両では先から異臭騒ぎが起きている。僕の悩みはそんなことじゃない。
いやね何のにおいかしらと窓を開け放つ婦人がいたから、僕も何食わぬ顔で窓を開けた。勢いよく風が吹き込んだが、乗客たちは気にも留めない。
切符を拝見しますの声が近づいてきている。それとなく切符を取り出した。その拍子に、風に切符を攫われた。
うさぎはある日から餌を少しも食べなくなって、それでも2年半は生きていた。だが、昨日死んだ。なぜ、何も食べなくなったのか、獣医にも僕にもわからなかった。なぜ生きながらえているのかも不思議だったかもしれないが、ありがたいだけだった。いつか死ぬとは思っていたよ。
君の専用の布団よりもっと、暖かいところへ連れて行ってあげよう。僕はいい飼い主じゃなかった。君がまた餌を食べたいと思わなかった程度にはダメな奴だったんだ。だから死んだ後で悪いけど、出来ることをさせておくれよ。
車掌が怪訝な顔で僕を見ていた。箱の中を見せろというので、しばし押し問答をした。切符も手元にないことを知ると乱暴な物言いになった。仕方なく箱を開けて見せた。
箱の中身は爆弾だった。それも作りはとても粗末で、一見してそれが何かを吹き飛ばすようなものには見えない。何ですかこれは、という車掌にそれを渡して、好きなだけ調べてもらうように言った。箱はぱんとはじけて。乗客たちは気にも留めない。
僕はうさぎを探しに行きたいと思った。この列車はもう捨てていこう。窓からひょいと降りる。列車は、少しも動いていなかったのだ。それでも列車はみるみるうちに遠ざかり、闇の中へ消えていった。やっぱり走っていたのかもしれない。有刺鉄線付きらしき柵にもたれかかってみた。
もううさぎのことは見つからないような気がした。遠くですべてが光っている。ちっぽけな光が何もかもに見える。消えたがっているみたいにちらちらと揺れる。どうにかならないの? と、においを気にしていた婦人の声だけが聞こえてきた。こればっかりは、と僕が答える。嫌だわ、といったきり声は黙った。知ったことか、と思いながら僕も、何も言わなかった。
溜息をついたら、うさぎが行ってしまったところへ連れて行ってほしいような思いを感じた。すると顔のなくなった車掌が向こうから歩いてくるような気がした。うっすらとあの制服と帽子が見えかけたとき、僕は結局、気づけば有刺鉄線に絡まりかけて体中を引っかき、上着から首回りまでずたずたになりながら逃げた。温もりが欲しかったのは僕のほうで、うさぎにやったふかふかの毛布や、ぴかぴかのお皿や、トイレも奮発していいのを買ったりして、それでもうさぎはやっぱり嬉しくなんて思わなくて、なのに僕は訳知り顔でとにかくうさぎを可愛がっているような気になって、ああしたらこうしたらと勝手に与え続けたんだ。こんなに走って逃げているのは僕だ。
走り続けていると見知らぬ駅へとたどり着き、列車から飛ばされたのと同じ切符をそこで拾った。だけどもう何の意味も持っていない。反対のほうへ向かう列車は、とっくにないが、明日の朝には出る。
- はさみ
- 2019/08/07 (Wed) 16:00:02