せっかく参加させていただいたので、皆様の作品に少しずつコメントさせてください。
思った以上に分量が多くなり、時間がかかってしまいました。
それと、もしこちらの使い方が間違っていたり、やっていることが趣旨から外れているようでしたら申し訳ございません。その時は遠慮なく教えてください。
>たばすこさん
先に投稿されていたので自分の拙作を書き終えてから真っ先に読ませていただいたのですが、とてもドラマティックな詩でした。
森の中をイメージさせる連から始まり、その主だとわかった折り鶴が嘴を持ち上げたと同時に踏みつけられ、実はもうとっくに足に主語を奪われている、というトリックがおもしろく、それから足が「折り紙のような花束」を抱えていくつもの改札を抜けていく情景が、ところどころ否定的なニュアンスとともにあっという間に流れていくスピード感は、きっとよくよく読んで味わわないといけないところですね。
私的な解釈ですが、こちらの詩は、薔薇の花も墓の下にある骨も、折り鶴も折り鶴の骨も(もりの木の幹も)みんな同じであるという言い方を試みていて、渋谷とか改札口とか交差点とか、に象徴される技術によって生けるものが押しつぶされて染められ歪められていることは、かつての空襲からずっと続いていることだ、という悲哀をはらんだ作品だと思っております。(だから詩の大部分の語り手である、人と思しき彼は、足だし、足跡でしかない、平な姿をしていて、薔薇の花も一本一本が折り鶴なのではないでしょうか)
スクランブル交差点に捨てられた折り鶴はどこにも行けず、森を想ってもそこへは帰れない。同様に、足跡の彼も行き場や帰るところを探しているのに、墓の下はちがう。「死んでから渡されてもしょうがない」。折り鶴や花と同じように加工されて、もとの姿に戻ることもできず、しかも彼自身も折り鶴を踏みつけ、改札を抜けてきている。それでも足跡の彼は「生きている時にもらって嬉しい」ことにも気が付いて、墓前に花を捧げるのが痛々しく切実で、最後にそれを箒星ととらえる姿が、大好きな詩です。
死や生というより、魂についての詩として読ませていただきましたが、意に沿わない読み方をしていたらすみません。
>るるりらさん
るるりらさんの詩は、なんのてらいもなく素直な感触がします。私はどうも身をよじってひねってやっと抜け出す苦肉の策のような言葉遣いになりがちで、時にうまく伝わっていないこともあるのですが、こちらの詩には解釈も何も必要なく、むしろ言葉を付け足すことは野暮ですね。
まさに折り紙の手つきで書かれた詩というべきか、押しつけがましくなく、丁寧に、やさしく形作られている作品。あるいは、息を吹きこむようにやわらかく書かれた作品。
ちいさめの正方形の紙のかわいさや、かつていた少女の影の深さにため息が出ました。誰が折っても鶴だけれども、少しずつ違うように、私たちも、人なんですよね。だからこそ、少女にばかり思いを馳せるのではなくて、今この瞬間のいのちにも同じだけの愛を注ぐ表現がぜんぶを包み込んでいて、なんといいますか、心から、この詩があってよかったなと。
私は愛されたいとか、愛したいとか、愛されているはずだとか、そういう表現ができても、どうしても中心を掬って言葉にすることができないというか、直視できないところがありまして、こういう詩を書けることをとても尊敬します。
>まいきーさん
ちょうど時間外に投稿されているところなどを勝手にリンクさせてはいけないかもしれないのですが、とはいえそれが、私の中で詩の内容に説得力を与えているところがありました。
語り手には後ろめたさや無力感や後悔、投影、そして、その先に何か信じて探しているものがあるのでしょう。
最後の行は「僕ではない、もっとマシな誰か」をどこかに求めているようにも見え、個人的には「いいや、君よりマシな誰かなんているもんか。誰かと比べられたりさせるもんか。でも、もっとマシな世の中にはしていきたいよね」というような気持がほんのりと起きました。私のこのコメントが詩の中に浸透して語り手に届くことはないかもしれませんが、でも、語り手より他の誰かの方がマシ、なんて嫌だな、と私は思います。もしいるとしたら、語り手自身なのではないか、と思います。
だから、どうかこの誰かが、好きな時に好きなだけ悲しんで、できたら表現して、悲しくない時には悲しまずにいられますよう。
>ABさん
この『風待ち』というのはABさんの作品なのですよね。私はこの詩もとても好きです。暖かい眼差しを感じます。
脳や心にかけられたいくつものスクリーンから不安や恐怖が沁み出してきて、人質に取られてしまうというか、そういう感覚がとてもよくわかる気がします。どんなに不安でも恐ろしくても、その弱みを悟られることも不安で恐ろしいから、泣き顔なんて見られるわけにいかなくて、それでも、
>花火、キリコ、エイサー
>囃子、漁火、風車
>を見ながら、聞きながら
>空を見ながら
>虫の声を聞きながら
>風の音を聞きながら
>ときおり
>声をあげて泣いてもいいかい
>と、痛む胸と
>深い寝息の顔に問いかける
こうやって愛しさとか美しさに触れるとつい泣いてしまいそうになる。
花束と折り鶴にはどちらも、祈るような気持ちの込められたものだと思います。私がお題を見てすぐに頭に浮かべたものは、なんだか浅薄だったかもしれません。
- みわ
- 2020/08/06 (Thu) 19:44:24