「この図書室には神様が住んでいます」
という噂が高校で流行っていたので、
図書委員の私は、誰もこない受付のカウンターでお気に入りの本を読みながら
神様がやってくるのを待っていた
((学校の階段の踊り場には鏡が置いてあって、
階段を上ったり降りたりするときに自分の顔が見えるのが嫌いで、
だから前髪を伸ばしていたのに、
校則に違反しているからと風紀委員に捕まえられて
次の休みの日に美容院で
切り落とされた前髪は制服のポケットの中に忍ばせていた))
という思い出が、本を読んでいると噴き出すから
私は本を読んでいるようで、実際は自分と話すためにこのカウンターに座って
同じ本を読み続けているのだろうか
((貸出の履歴にあふれた100万部売れたほんの帯には、
涙の文字が躍っていて、
涙は舗装された表紙のプラスチックの表面をいくらなぞっても
履歴が残らないから、
ノドの厚みの部分や、ページをめくった最初の一文字目がしわくちゃになっていた
涙はいつも乾いてしまうから
昨日涙を流したって、明日元気な顔で登校してしまえば
その悲しみは誰にも気づかれないだろう))
だから、この本の履歴を埋め尽くした私の名前がばれて
この本は塩水臭い事が誰かにばれてしまうことだけは避けなければならなかった
でも、そういうことは
ここに住んでいる図書室の神様にはバレバレなんでしょう?
と頭の中で問いただしてみても、
図書室の開いたドアから
生暖かい夏の風が舞い込んでくるばかりだ
((夕立が激しくて、学校から出れなくなった生徒達が
図書室に逃げ込んできて
定期テストの勉強をしている傍ら
カウンターで単語帳を見るわけでも
本を読むわけでもなく
物思いにふけっている訳でもなく
具体的な何かしらの目的に向かって考えている訳ではないのに
時間だけが過ぎて行って、
削られた前髪のせいで、この部屋に入って来る人間の表情がよく見えてしまう事だけがとても怖くて
怖がらせてしまう事がいやで、常にうつむいて本を読むふりをしていた
ああ、早くここから誰もいなくなってほしいと
神様に願うことで
ここだけが私の世界であるように
となぜ、いつの間にそんな思考になってしまったんだろう
小学生だった時は別にそんな一人でいることが好きでもなかったのに、
いつの間にかここ以外の場所で生きるという事がどうでもいいと
))))
下校時刻になり、消灯された廊下を
ふらふらになりながら歩いて、
階段を降りると、短くなった前髪が穴の開いたポケットから床に落ちて散らばっていく
校内放送のアナウンスが流れ始め、
鈴の音が聞こえる
錫杖を一定のリズムで突きながら、近づいてくる寒気で
体が動かなくなって、
階段の3段目まで降りたところでへたり込んでしまう
鏡に映った自分の顔の下にある反転した右肩に白い手の形をした靄が置かれ
耳元に冷たい息がかかると同時にやかましいアブラゼミの鳴き声が校内を瞬時に埋め尽くしていく
靄は肩からゆっくりとなめるように私の右腕を滑って手をつかみ、引き揚げようとする
力のない手に導かれるように私は立ち上がり手にもっていた通学カバンを左手から剥がしてしまう
カバンが階段の踊り場に落ち、
中に入っていた本が散らばっていく
本の表紙はすべて同じで、汚れ方も同じで、
表紙に書かれた女の表情も同じだった
読み手の私を同じ角度で、同じ色素で、同じ涙の帯で見つめている
女の顔は合わせ鏡のように私を見つめている
音叉のような映像を突き放すように、
手に導かれて私は元居た図書室に向かっていく
図書室を出るときに抱えていた思考は
後ずさっていき、軽くなったからだは
歩くという行為を意識しない
胸ポケットに忍ばせていた紅桜が原料の口紅を
乾いた乱暴に塗りつけ、
膝下まで伸びていたスカートを極限まで巻き上げる
ゴムとヘアピンで巻き上げていた髪を振りほどき、
宙に舞う乱れ髪は私の爪を細く長く伸ばしていった
馴染みのカウンターに座りこみ、
白紙のページのみで出来た本を開く
伸びた爪で右腕の皮膚を切り裂いて作った赤いインクで
書きつける言葉は
人の言葉の形をしていなかった
しかし私には読めて私以外には読めない
これが今の私の気持ちだからで
これは唯一無二だから誰にもわかるはずがない
という傲慢を
いつだって夢想している
私の夢は
司書の先生に叩き起こされて
ほら、
こうやって終わってしまうんだ
笑顔を張り付けているうちに
終わってしまった説教
学校の帰り道
コンビニで思わず買った
ファミチキをほおばりながら、
夕焼けが落ちていく
という、ああ、わかりやすい悲しみで
すべてが終わってしまえばいいのに
タングステンで出来た雨粒が
肌を滑り落ちていく時に宝石に代わるようなたとえ話で、
世界の夕焼けが凍り付けばいいのに
- たばすこ
- 2020/08/08 (Sat) 22:17:53