ここゴルコンダにおける「タイトルを出されてからの24時間」あるいは「タイトルを知ってからの残りの時間」と「かき氷がとけるまでの時間」に差異があるのかを考える。ことばとは遺すためにのこされるのか。かき氷の氷はとけるために削られるのか。と考えているうちにみるみるかき氷はとけていき、ゴルコンダの残された時間も減っていく。
Maison de UJIKINTOKIがあらわれた!
マグリットのゴルコンダに浮く住人が一斉にMaison de UJIKINTOKIに目を向ける。宇治金時が何なのか、ゴルコンダの住人は知らない。宇治という場所があること、坂田金時のことも金太郎のものがたりがあることも知らない。一体これは何なのだ!巨大な深緑。つややかにひかりを跳ね返す赤みを帯びた茶の屋根。風の匂いがする。ひんやりと心地好い。一体これは何なのだ!あるものは帽子をとり、またあるものはコートを脱ぐ。裸足になって宙を踏みしめるものもいる。差異があらわれる。俺たちは何者だったのか。隣にいたものは鏡ではなかった。己に戻りながら風をかきわけMaison de UJIKINTOKIにたどり着く。とける前のひとさじを口に含む。ああ。なんというMaison de UJIKINTOKI!削られた氷が、甘さが、のどを伝ってからだ中にゆきわたる。この清涼は忘れられるものではない。一体これは何なのだ!と、ふいに、するどい痛みが脳にひびく。住人たちは頭を抱えてうずくまる。こらえるこらえるこらえる。痛みがおさまったあと、ひとり、またひとりと、住人たちは脱ぎ捨てた服や靴をひろいあげ、黙って、もといた場所へ帰っていく。Maison de UJIKINTOKIに魅せられた時間ととらわれた自分をほんのすこし恥ずかしくも思いながら、あのUJIKINTOKIを口にした快感を自分の中に眠らせて、ゴルコンダの住人はマグリットのゴルコンダの絵に戻る。
さて、ここゴルコンダにおける24時間あるいはタイトルを知ってからの残された時間とかき氷の氷がとけるまでの時間に差異はあるか。ここゴルコンダの中でしか作品になれないことばたちも、宇治金時のかき氷も、時間が経てばとけて消えてしまうものなのか。
いつかまたMaison de UJIKINTOKIがあらわれる。
友よ。住人よ。Maison de UJIKINTOKIでまた会おう。
(帽子の忘れ物を預かっています。忘れた方はそっと知らせてくださいね。)
- will
- 2020/08/18 (Tue) 17:06:03