し
詩を書きはじめるようになったのは大学一年生の時だけど
親族の中で初めて死が訪れたのは父方の祖父で
ぼくは大学三年生の時
冬だった
葬式というものに初めて参列するために
父の生まれた地でもある富山に向かった
祖父母の家に行くのは決まって夏だったから
道路に埋もれたスプリンクラーが作動しているのを見るのも
初めてだった
初めてだったから
祖父母の家に着いた時に
いつものようにインターホンを鳴らしたら
家族に怒られた
そして
いつものように祖父母が出迎える前に
家にあがった
いつもどおり
肥えている祖父が横になっていた
声をかけても返事をしないのも
初めてだった
父親が
泣き崩れたのも
初めてだった
だって
それは全て
初めてだったから
いつもどおりにするしかなかった
ぼくはこれらのことを
詩に書かなかった
か
けなかったっちゃ
ず
絵が描けない
いや、描けるんだけど
その絵をもって
誰かに何かを伝えることができない
小学生の時
「うたをテーマにして、絵を描いてください」
という課題が出た
うたと絵は違うよ
うたはうただよ
絵は絵だよ
うたはうたのままでもいいんじゃないの
怒られるのがいやだから
とりあえず絵を描いた
大人ぶったぼくは
「荒城の月」といううたをもとに
絵を描いた
盛り上がった土
クッパ城みたいな城
青黒い空
黄色い歪な満月
を並べた
先生は意地悪だから
一人一人の絵を紹介して
先生が指名した人が
その絵に対して感想を言うことになった
ぼくの絵
三色ぐらいしか使われていない絵
「いいとおもいます」
とか言われた気がする
その後
みんなの絵は数日間教室の壁に貼られた
ぼくの絵は
実に平面的だった
そのまま
壁になってしまえばよかったのにな
く
奥の細道の終点は
岐阜県大垣市
ぼくが訪れていない都道府県は残り7つ
40か所目に訪れたのが
岐阜県だった
友人らと3人で
令和元年5月1日
岐阜県に降り立った
世の中は
ゴールデンウイーク真っ最中で
何とか取れたホテルの入り口には
令和
の文字が書かれた
書が置かれていた
旅先では
場所にならって
歩くが吉
友人らは
金津園に向かった
その間
ぼくは歩いて歩いて
長良川から染み出た水で育った地から
長良川の水を足にしみこませている
合流したぼくらは
岐阜城にむかった
その間
そう
かつてと今との間に
数多の水が
この地にしみいり
数多の水が
この地でかれ
夢もまた
枯野を駆け巡った
ぼくは
旅に病んでいるから
足に
水をしみこませる
あと7つの地の水をしみこませる頃には
かの地の水が枯れているだろう
だから
歩く
芭蕉のように
しずく
し の しずく
ず の しずく
く の しずく
しずく
の
しずく
おちたら
いっしょだね
受精した
しずく の ぼく
- なかたつ
- 2020/12/19 (Sat) 19:18:31