夢くらげ
よろしくお願いします。

  • 洗剤イヤ子
  • 2018/09/01 (Sat) 03:29:46
夢くらげ
死ぬ様に眠るあらゆる社会人が
12時過ぎた頃から存在の希薄に悩む
影が体から分離する事に始まり
最終的には全身の感覚が変異を開始
バスタブに張った風呂水に塩を投下し
くらげというよりは水死体だったが
四本の手足は明らかに微生物を誘う
夜闇が深海の様に押し寄せて来る
朝になるまで湯船の中での変異を
分からないまま眠り込んでしまう
どうするのか見ても居ない呼吸で
漂いながら汚れを吐き出している内に
やがて溶けかけた体を引きずり
青く底の見えないバスタブを出ると
全身の皮膚という皮膚を新たに着直す
  • ネン
  • 2018/09/01 (Sat) 17:37:20
夢くらげ
失ってしまうのが怖くてしようがないきみのそのプライドはくらげだ
4t車にひきちぎられ摂氏マイナス150の世界のプライドはくらげだ
ゼリー状態よりももっと残酷で破砕光すら届かぬプライドはくらげだ
ねむり姫になって
たどり着いた彼の地が
南の島先住民族特有の
優しさで覆われる
魚たちによる
道化師のダンスが情熱的になったらきみよ
プライドのくらげを食べてしまえ
  • みうらあ_の_ばでぃすきー
  • 2018/09/01 (Sat) 22:02:53
夢くらげ
踊るみたいに
夜の中くるくると
いつまでも
そうしていられたら
闇に虹が付いて
虫の声が滲んでる
ぽやぽやと
掴めない
手はそれでもなお
踊っている
そして上へ上へと
浮かんでいく
沈んでいく
くらげみたいに
  • こはらあき
  • 2018/09/01 (Sat) 22:34:31
夢くらげ
夢かわいい
夢ごこち
夢うつつ
夢うらない
夢は売らない
夢見がちのガール健在

今朝、夢に父が出てきました冷蔵庫貸してって言ってました私はコタツ探してました妹が二畳くらいの部屋に座ってました奥にもっと広い部屋があるのにどうしてそこで死んだ人は冷やすのでしょう軽い出で立ちだったけれど夢に出てきてまで冷やしたいものとはなんだったのでしょうか父よ

ほら前にも言ったけど玉のような子である母だけが左右非対称であとの三人は左右対称な名を持つなら名乗れよ口あるんだろエエいいやあ君からもらい泣きなんてしたくないしさらさらないスープカレーはまた今度にするよさよならしてね北海道展

スイッチ押せばペカペカと蛍光色に光るスライムみたいな手触りのくらげがカップに収まって掌の温度で乾いていくから戻してあげよう骨は拾ってそれから撒いて海へエンジンの盗まれたボートの上から
  • こうだたけみ
  • 2018/09/01 (Sat) 22:55:27
夢くらげ
くらげには ひかるもんがおります
暗く寝静まった
世界中の月あかりが見落とすのが自明です
ありとあらゆる種類の自明という自明が 
それぞれきままに発光するもんですから
その影ときたら 夜のスクランブル交差点のように
縦横無尽にさまざまな方向に のびるのです
おまけに 
波にゆれる触手のように自由に まがりくねります

くらげのようですが 人の心の実相なのでございます
精神をささえていたモビールの無数の糸は
昼間は空に浮いて 器用にだか不器用にだかバランスをとっておりますが
夜ともなれば しずかに 自然に
水の中に下りてゆき くらげとなるのでございます

ゆうらり と ぼんやりと うなずいたり
ほほえんだりしとります たくさんの触手が もつれることなく
流れに身を任せ
ひとしれず かがやいているくらげもんらは まるで夢のようでございますが
ひかりたくないくらげもんが いてるんのも しずかで
それもまた良いものでございます

  • るるりら
  • 2018/09/02 (Sun) 00:00:09
Re: 夢くらげ
雨によって
いくつもの・・・模様になった
窓の外よりもむこうの
あの子の耳の裏側の
赤道のとなりのとなりの
ブラジルよりもっともっと奥で
しらない声が
しらない歌で
しらない人を弔っている

全部ピンク色がいいと言った
夢を見るのは渦のある貝殻だけ
浴槽に沈みこむ
貝殻まみれになる夢だ
不安なのなら
浮き上がって食べられたらいい

全部がピンク色ならよかった
聞こえているのはだれかの中国語
光 ってね空っぽって意味なの
そういうことだけ知りたいの
体がふやけていくんだ
ぶよぶよで
しわしわなんだ
昨日蹴られた痣が痛いんだ
それをもって渦の中心へゆくんだ
雨の音だ
しらない音だ
ここよりずっと
遠くのほうで鳴っている

空っぽだった
空っぽでピンク色の世界で
浮遊しないと生きられない
・・・
浮かび上がったのは夢だった
貝殻になれなかった
けれどどこへだってゆける
ちいさなくらげの夢だ


  • マリィ
  • 2018/09/02 (Sun) 01:14:07
夢くらげ
僕らは水族館の中にいたんだよ
正直くらげなんかどうでもいいんだよなあ
なんか見せられてるみたいでさ
好きじゃないんだよこういうのは
夢のような光
夢のような青

夢なんて
まあ
隣にいた子はするりと人混みに
消えていく
くらげみたいって

ぼんやりと遊んでいるザリガニたちは
夢見心地っちゃそうだった
夢を見てるかはあんまわかんない
僕が夢を見ている間はこいつらみたいに
誰かの前に無防備でいるんだろうな
きっと

いま目をつむってしまえるよ

とか言っても
多分
目は開いていても
光が差していても
今ここってやつは
そのうち液状化するし

あー始まった
それみたことか
あの子が手招きしていた
くらげの姿になって

見せられてるんじゃなくて見に来たんよ
あと私は見せに来たんよ

言ってました

僕は液体にならずに
ちゃんとここにいるんだなあと思って
どこかに晒された
僕の実体
ってやつが
くらげになったあの子を
掬うように持ち上げたけど
僕は手のひらをちくりとやられました
  • はさみ
  • 2018/09/02 (Sun) 03:00:27
夢くらげ(投票対象外)
松林の中の
つめたい墓
雨のない九月に
白い菓子は白く
甘い花は甘く




昼はしずかに
あなたを運ぶ

くらげみつけたら
空を飛ぼう




あかるい団地の
洗たく物
試着していく海風は
Sサイズ
Mサイズ
Lサイズの哲学者




ひどい寝ぐせで
おかしいねと笑った

モモ缶切ったら
出ていこう






  • 洗剤イヤ子
  • 2018/09/02 (Sun) 03:07:43
ネンさん、るるりらさん、マリィさんへ
「夢くらげ」と出題したとき、私のイメージにあったのはむしろdaydream(空想)の夢の方であり、そのニュアンスは拙作にも現れていると思いますが、しかし全く別方向のイメージから描かれる方も多く、本当に面白く読みました。ゴルコンダというのは実に不思議な空間だと思います。世界の半分は夜なので、人類のあらゆる表現も半分くらいは夜になって自然のようにも思いますが、絵画とか小説とか映画とかを参照すると(これも印象的なものですが)どちらかといえば昼の表現の方に比重が傾いているように感じます。人間の活動が主に昼に行われるからですね。夜は静的だからいくぶん表現として採りづらいというのもある。しかしもちろん夜というのが表現の死ぬ時間帯というわけではなくて、夜の中に描かれる魅力的な表現もたくさんあります。その一つがおそらく眠りであり、夢なのだと思う。

ネンさんとるるりらさんの作はどちらもまさに夜に見る夢をイメージして描かれていますが、気になって何度か読み返しているうちに、なんだか二つの世界観がリンクしているような気持ちになってきました。同じ世界を、ひとりはAという視点で、ひとりはBという視点で描いたというように。浮遊する人の心をくらげに託し、たとえばネンさんはシュルレアリスティックな夢遊病的な筆致で、るるりらさんは抱擁するような肯定的な筆致で。

ネンさんについては、表現自体はシュールと言ったけれどテーマとしてはシュールではなく、ここに描かれているのは現実に存在する現実的な問題なのかもしれない。主語が「社会人」に限定されているけれど、確かにこの社会は自我を同一化するにはあまりに肥大化・複雑化しすぎている気もします。wikipediaを読んでいるとこういう記述を見つけました。『刺胞動物門は、二胚葉性で、袋状の消化管を持ち、肛門がないのが特徴である。その具体的な構造としてはクラゲ型とポリプ型がある。ポリプ型が固着生活に適した姿であるのに対して、クラゲ型は浮遊生活に適した形と言える(by wikipedia)』。クラゲには淡水で生きられるものもありますがわざわざ浴槽に塩を入れるのが本格派ですね。海水は浮力を増しますから。陸上生物は海でも泳げますが、海洋生物が陸を歩くのは大変です。地球の重力を歩いていくのは、浮力なしには重たすぎるのかもしれない。そうやってくらげになることで夢遊病患者の彼はなにかバランスを取っているのかもしれないと思いました。

るるりらさんの作は非常に優しい筆致で、特に人の精神をモビールに提げたイメージがとても好きです。なぜ昼には空に浮いていたものが夜にはわざわざ海へ降りていくのかを考えると、その優しさがほの見えます。ネンさんもまた示していたように、くらげというのは人の深層心理における一種の回復体位なのかもしれない。我々がくらげに抱くイメージ。あるいはそういう願いを託している。「ひとしれず かがやいているくらげもんらは まるで夢のようでございますが/ひかりたくないくらげもんが いてるんのも しずかで/それもまた良い」、実にそうです、その通りです。我々が疲れた体や心にしてあげられるまず最初のことは諾うことだと思います。輝かない電灯の佇まいに美しさを見る眼差しはまさに肯定者のそれです。そして実際ひかりたくないくらげのことが、私はとても好きです。

一方マリィさんの作も近似したテーマを扱いながら(『空っぽだった/空っぽでピンク色の世界で/浮遊しないと生きられない』)、そこからもう少し遠いところを描いていて、どこかしら天国的な部分があるように感じました。精神世界的。遠いところを見ているのではなく、遠いところから「ここ」を見ているような感じ。身近な海として「浴槽」が実現されているのも興味深いです。つまりあくまでも肉体はここにあるという。柔らかいくらげと対比されているのはむしろ鉱物的/静物的な貝殻だし、『昨日蹴られた痣が痛』い。夢は天国を漂い、体はつねにここにある。初読では柔らかな口ぶりにカモフラージュされてしまうけれど、ゆっくり読んでいくとその「遠さ」というのは分裂により引き離される距離から生じているようにも思えます。痛みがあるが、その痛みが肉体から生じるものなのか心から生じるものなのかは判別できなくなっていくし、たぶん両義的なんだろう。そんな風に感じながら読みました。
私は中国語のことはほとんど知らないのですが、光=空っぽというイメージは、動作が全て完了し、後にはもう何も残っていない、という意味から来るそうですね。何かが終わってしまうことを、無ではなく、そこに充填されるものを以って表わせるなら、私の夢もきっとそうあって欲しいと思います。
  • 洗剤イヤ子
  • 2018/09/03 (Mon) 03:24:54

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