W 後半様変わりするのは宿命か
白 きれいにまとまとまっている
こうだ 反骨精神
Ink 韻踏んでるようでふめてないかも
「良いもの」というのは誰にとってもよいもののように思えるが、実際のところそんなことはないのは、毎回の投票結果を見てもわかる。「良いもの」は人それぞれだし、同じ人間でも状況や場所によって違うことを吐くかもしれない。
その生涯を人工知能やチューリング機械にほぼ捧げておそらく稀代の天才と思われるウルフラム博士が、これまた稀代の天才とは言われるアルトマンが、巨大資本と天才仲間でこさえたアテンション機構を画期的に使ったサービスを前半は落ち着いて解説して後半こき下ろしている本が年初に出たが、そんな気持ちもわからないでもない。古来は手塚治虫の藤子不二雄への嫉妬とか、努力型の天才の嫉妬ほど努力してない凡人が見ていて面白いものもない。
アテンション機構搭載のトランスフォーマフレームワークは、はじめは生成というよりdeeplなどの翻訳あたりから脚光をあび、その活用が始まっていて、いざ自分使う段になると、使っているよりも使わされている気持ちも出てくる。だがこんなことはコンピュータで乱数がある程度出てきたごろからみんな話していた。批評だと小林秀雄がトルコのオートマタの話を考えるヒントの中でしている。大袈裟に行けばロジャペンの愛称で呼ばれるロジャーペンローズの随筆もある。
マトリックスのように電池や末端神経として人が生きるのなら、そこにおそらく人としての尊厳はないし、それこそ幸福といったものからも遠ざかってしまうが、幸福には様々な定義があるということは、今回のお題からもよくわかった。
実際マトリックスにおいても、ユダみたいな裏切り役が出てきてそいつは世の中の変革なんか自分は知らないし、嘘でもいいからベビーフードじゃなくてステーキが食いたいし、自分が知ったこの世界の真理もすべて忘れさせてくれという。ルサンチマンというにはリスクをとりすぎているし、孤独だ。ユダにしろそうだ。古来は青大将という若大将のアンチヒーローがいた。悪役はいつも光り輝いている。そして幸福とはむえんにもみえる。
他の国も変わったところがあるが、日本の主体性のなさは、結構誇っていいレベルな気がする。怒るということを基本しないし、ひどいことをされてもたいていは少し泣いて忘れてしまう。そのうえで、幸福というのは3つくらい起源が考えられる気がしている。
一つはいわゆる西洋の幸福で、これは明治時代のちょっと前ぐらいからもてはやされた、この幸福はギリシア哲学から始まって、カソリックやらその他荘厳なひとたちのビジョンが奥ゆかしく述べられていて、WHOのメッセージにつながるんだが、だいぶこれはゆらいでいる。ゆらぎかたも、13世紀くらいから変わってない気がする。
二つ目は儒教で、これも外来といえば外来だが、敬老から始まり和をもって社会を作る、みたいな感じのイメージを持ってもらえばいいと思う。話が穏便にすみそうなのはこいつらだ。
三つめは仏教神道で、これは分かるようでよくわからない。基本は独我論のように見えるが、独善的というよりは、ほんとに道を究める人が多いみたい。ヘッドギアでもなんでも、相手に働き掛けない限り一番おとなしいやつらだ。
たいていは二個目と三個目で幸福を追及していて、一個目がいわゆる勧告がいるやつで、WHOの活動を見てもそう思う。推し活は2と3のミックスで、実際文章書くとなると一個目で書くのが本当に楽だと思う。
お前が幸福かと聞かれたら、にやりとしてやれるが、そうとも言えない胸が潰されるニュースがいくつかある。だから問わず語りにお前もなと言うようにしている。そして、それでもまだ書き続けたいのなら、後ろは振り返らないことだ。
- A
- 2023/09/16 (Sat) 18:10:23